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とある科学の超電磁砲 ~第8話~ [アニメ]

 さて、残念ながらボクが観たいと思う秋アニメは残り2つとなってしまったので、今回から作品ごとに感想を述べることにする。
 話数も8と経過してきて、ようやく話として動き始めたような感じになってきた。作品として描く部分も何となく見えてきて、形になり始めてるといったところか。

 しかし、だ。この作品、本編である『とある魔術の禁書目録』の「幻想殺し」等に見える「設定のいい加減さ」から少し不安に思っている部分があった。
 どちらの「とある~」も「科学」が発展し、「超能力」という「異能」をもその支配下においた設定だ。今現在における「超能力」、即ち原理不明の超常現象であっても、そこには何らかの原理原則が存在し、それを科学的に解明することで自在に御しえるということだろう。

 つまりはSFである。魔術というファンタジーが入る分、スペキュレーティブ・フィクション的な考え方が強いのかも知れないが、それでも原則サイエンス・フィクションの領分だろう。
 第8話においても、冒頭で量子論や確率論、シュレーディンガーの話を出している辺り、その毛色は強いはずだ。まさか、難しそうな話出しておけばいいというような軽挙ではないだろうし、話の内容そのものは一応、それっぽいことになっている。

 量子論というのは、まぁ、ボクもどれだけ分かっているかといえば謎なのだけど、要するに自然科学だ。原子や分子、電子や素粒子、光や電波など、あらゆる物理的現象は、それらの位置や運動によって現象として発現するわけだ。
 それらの特性を知ることで、現象を数学的に理解することが出来るというもの。しかしまぁ、それらによって導き出されるのは確率解釈であって、状況的に「重なり合った」現象という解釈になる。現実としての結果は限定的なのだけれど、まぁ、その辺が「シュレーディンガーの猫」などの実験になっていくわけで。…難しく言っても分かりにくいな。

 簡単に言えば、結局のところ、現象には原因があって、それゆえに結果があるということ。発火というありふれた現象を見ても、可燃性の物質が高温になることで発現する。
 なので、超能力を使うということは、こういった量子力学的な論理は必要不可欠という話だ。そんなもん、中学生の頃から学ぶ内容か? ということはさておき、少なくてもこの作品においてそこに言及する以上、科学的根拠という部分において「いい加減」であっていいはずがない。

 前置きが長くなったが、今回この点において疑問に出るところがあるわけだ。既に凝固したアスファルトの粘度を変えるとかどうするんだ、とかいうのもそうなのだけれど、もっと分かりやすい科学的な意味不明があった。それは「電磁石」だ。

 電磁石とは、ご存知電気を通すことで磁力が発生するという代物。電気は磁場を発生させるので、フレミングの左手に従って、電気の流れる方向によりその方向を制御出来る。だから、壁に張り付こうとしたら、「壁に向かって」磁場の方向が向くように電気を流せばいい。
 まぁ、実際の電磁石は磁性体に電気を流すコイルを巻きつけて作るのだが、この際、磁場の方向を得られるのであれば何でもいいだろう。

 で、今回のバトルにおいて、この電気と磁場の関係性を利用した「壁張り付き」を披露した美琴なのだけれど、これが問題なのだ。
 方法として、コンクリ内の鉄筋に通電することで磁場を発生させたらしいが、それはどうやったのだろうかということ。当然だが、鉄筋に電極はない。そもそも、物理的接触を行っていないのだから、意図した通りに電流を作れるのかすら疑問だ。
 電流の発生源は美琴なのだから、電極の発端と終端が美琴だとして、触れてもいない鉄筋に対して電流を通し、思い通りに磁場を発生させられるのか?

 そして、「何で美琴は張り付いてられたのか?」がもっと分からない。
 確かに、物体は原子レベルで見れば磁気モーメントを持っているわけだし、それが磁化するとすれば発生した電磁石に引き寄せられることもあるのだろうけど。現実として、磁気モーメントは原子ごとに向きがバラバラだから、通常磁石には反応しない。
 肉体などという複合的な材質のものが、それぞれの原子において同じモーメントを持つほどに磁化するなんてあり得るのだろうか。
 電気を扱える能力者が故に、常に磁場にさらされており、それにより肉体が磁化しているとでもいうのだろうか(まるでキン肉マンのヘルミッショネルズ戦のようだ)。だとすれば、美琴って磁石で囲むだけで面白いことになりそうである。
 というか、そうであれば砂鉄すら引き寄せてしまうはずなんじゃないかなぁと思うわけだが。何にもしてないのに次々と鉄だのなんだのがくっついてくるような体だとすれば、日常生活などろくなことにならないので悲惨なわけだが、そういうことはなさそうだし。

 結局、美琴が発生させたいときに発生させた電磁石に、そのときだけは磁力でくっつくような体になるというご都合が見えるということだ。
 「肉体をもくっついちゃうほど強力な電磁力が働いていたんだ!」というには無理があるだろうし。そんな強力な電磁力が働いていたら、美琴だけをくっつけられるはずがない。もっと大惨事に陥ること請け合いである。それとも、こうなることを見越して、鉄下駄でも履いていたのだろうか。見たところ革靴を脱いで靴下のようだったが、もしかするとあの靴下は鉄なのか?

 というか、そもそも、電磁力でくっついてられたとしてもだ。「あの体勢」は無理だろう。美琴は、壁に「立っていた」のだが、これがどう科学的だというのだ。
 電磁力はあくまで磁力であり、重力ではない。故に、磁力で壁に張り付いたとしても、地球が発生させている「重力は働く」のだ。当然のことながら。
 だから、「足がくっついている」にしても、「それ以外」の部分は下へと力が働く。それで「落ちない」以上は、重力以上の力が横方向に働いているわけで、そんな強い力がかかっているのなら、よく立っていられるものだなと。
 もし、靴下でくっついているのであれば、想像してみよう。足が壁にめり込んで体はそのままという状態を。間違いなくキツい。相当体勢として厳しい。
 とすれば、「体全体」に磁力が働いている可能性は高い。体全体でべちゃっとくっついているならともかく、女性とはいえ、人間が人の高さよりも高い位置にいる状態で壁に張り付いたままでいられるほどの力の中で、何事もないように立っているなんて出来るかといえば相当謎だ。

 もう少し現実的に理解すれば、「美琴自体」が「電磁石」となって、鉄筋を吸い寄せることでくっついている、というものなのだろうが、結局のところ疑問点をクリアし得ない。重力の問題はクリアできないし、人間がくっついていられるほどの磁力を出してたら、鉄筋以外の色々なものがひっついてきて大変なんじゃないかとか、問題は山積みである。

 一見するとSFらしく科学しているようであって、よくよく見るとそうでもないところが見えてくる。こうしたいい加減さはあまり誉められたものではない。
 半端に科学を取り込むくらいなら、最初からファンタジーでいいじゃん。「魔術」をもう少し科学的なメカニズムにしたということじゃアカンの?
 ファンタジーな分、少しくらい現実的な説明が出来ないとしても、マナでもオドでも、何かしら「存在しない何か」で肩代わりさせることで、比較的納得のいく説明が出来ると思うのだが。それだと商業的にインパクトがないからか?

 何をそんなに細かいことツッコミ入れてるの? 馬鹿じゃね? 別に気にしないでいいじゃん、と思う人もいるだろう。事実、作品として「描くべきこと」が描かれていれば、細かすぎるディティールはそれほど気にしなくてもいい。
 しかし、それをそれでOKだとするのは、あくまで受け手であって、作り手ではない。つまり、細かいこと気にするなと考えるのが、受け手であればその人の勝手だが、作り手としてそう思うのは怠慢以外の何者でもないということである。

 こと商業的な量産作品においては、こうした設定的な部分は往々にしていい加減に済まされるものだ。設定など詰めだしたら膨大な時間がかかる。
 それは、製作スパンとしても、予算的意味合いにしても、商業的視点であれば許されることではない。作り手としても、練れるだけ練って作品を作れるのだとしたら、どれほど嬉しいことだろう。だが、現実的にそれは難しく、結局おざなりの設定が氾濫するのだ。

 それはこの際仕方のないことなのだけれど、個人的にはいい加減そうした量産品はいらないのだ。本当に芯の通った作品に出会いたいと願うからこそ、どんな作品にも、「その作品における芯」がしっかりしていることを望んでしまうのだろう。
 これはボクのエゴにすぎないけれど、それゆえに、ボクの感想ではこうした部分にうるさくなってしまうのだ。なぜなら、肝とすら言える部分の設定がいい加減だとすれば、作り手の、作品に対する向き合い方そのものがいい加減な可能性がある。
 それは作り手の「性格」のようなもので、そのいい加減さがいつかどこかに歪を作り出すこともあるからだ。全てを完璧に出来ないのは当然だが、芯の部分にくらい妥協しない姿勢が、作品全体を通してのクォリティに繋がることは多いのではないだろうか。

 さて、設定的なツッコミはこれくらいにして。
 話の内容としては、まぁ、今までの事件が一連のものであって、そうした収束と、次への展望への布石といったところ。物語として動き出す一歩といった印象だ。
 相変わらず目前のことしか見えておらず、迷惑スプリンクラーという自覚のない美琴の子供ぶりが炸裂したりなんだりだが、話の流れとしてはこんなところか。
 主人公を差し置いて、脇を固めるキャラたちの心情が結構描かれていってる部分は少々謎なのだけれど、それらの描写は悪くない。
 佐天の焦りや失望は理解できるものだし、年齢を考えればあからさまに怪しい「レベルアッパー」などというものに興味を抱くのは不思議はないだろう。
 まぁ、その裏側で「能力開発」的なわっかりやすい「組織」みたいなモンがありそうなのはお約束というものだ。

 結局、「力」の方向性を問うということなのかな。佐天は「自分にも何か隠された力がある」かも知れないことに期待をしていた。それは子供らしい普通の興味だったのだろうが、人としてその先に向かうためには、「何のために」が必要になる。
 人は、より大きな「力」を得られるとき、どこへと向かうのだろうか。ここで「力ヒャッフー! これだけの力があれば世界すら支配できるぜ、ヒャッハー!」とかなると興醒めなのだが、何となく、もう少し違ったテーマがありそうな気がしている。

 人は、その進化の中で知恵を得て、科学によってこの世に君臨する存在となった。果てない「前進」は、常により前へと進みつづける欲求だ。実は、そこに「何のために」など存在しないかも知れない。分からないから求める、単純にただそれだけの欲求。
 その行き着く先はどこなのだろうか。ただ前進を繰り返し、そのための犠牲すら厭わないとしたら、その結果は何を意味するのだろうか。
 ボクには、こうした「人間のエゴ」こそが描いていくべき内容なのかな? という気がしてきているのだけれど、さて、今後どのような展開になるのか。

 気になる点はあるものの、作品として大きなマイナスではないので、今回もやはり横ばい。まぁ、今後の展開のための展開といった内容なので、それほど上向く要素がないのも確かだったわけだし。というわけで、今回も75点を維持っつことで。

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