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浪漫を語るは愚かなのか? [雑談]

 今日は「化物語 つばさキャット(上)」が発売される日で、レンタル争奪戦の日でもある(ぇ まぁ、前回同様早起きして借りに行くという必死さ(笑)でゲッツ。
 実際には、必死というよりものぐさなだけなんだけどね。借りられないと「あるかな?」って何度もお店に足を運ばないといけない。それよりは、1度の面倒ですませたいという(ぁ

 で、そんな効率論まっしぐらな行動しておいてナンだけど、その効率ってやつが今日の話。なんか連日愚痴みたいな記事を書いてる気がするけど、同じ系統っぽい(ぁ

 昨日の記事とリンクする部分が多少あるんだけど、何ていうか、今時の人って何でもかんでも効率だよね。それ自体は無論悪いことじゃないし、むしろいいことかも知れない。

 しかし、なんていうか「浪漫」がないなぁとは思うんだよね。こんなこと言い出すと、ぷぎゃーとか言われそうなところだが、そう思うのは偽らざるところ。
 そりゃまぁ、生活に密接に関わるとか、重要な部分に携わることに関しては効率的じゃないといけないのは間違いない。効率の悪い仕事とかあり得ないしね(笑)。

 でも、全部が全部そうなっちゃってる気がする。
 例えばゲーム。格ゲーなんて分かりやすいよね。どんなキャラが使いたいかってところで、そこに効率が最優先というのは寂しくないかな。
 キャラの使用率を見れば一目瞭然。トップに来るのはいつでも「強いキャラ」である。対戦、つまり勝負をするのだから、勝つために効率のいい「強いキャラ」を使うのは理に叶っていよう。
 だが、逆にこれは「勝てれば何でもいい」ということだ。そのキャラがどういうキャラかとか、どういう面白さがあるかだとか、そういうのは二の次らしい。

 これが、大会で優勝を目指したいとかならまだ分かる。しかして、ネット対戦やゲーセンの対戦等、ただ遊びに来たというレベルでさえこれだ。対戦しようと思ったら強キャラばっかしかいない、なんてのは珍しくもないだろう。対戦そのものを楽しむのではなく、「勝つ」ことが1番らしい。

 先日、昔プレイしていたMMORPG「リネージュ2」の掲示板を久々にブラっと見に行ってみたときもそうだった。運営会社の方針が批判されることは度々あったが、その類のものだ。
 曰く、今のシステムだと弓職は不遇すぎるから改善しろ、という話。アップデート毎に色々な部分に修正が入るわけだが、リネ2では昔は弓がとても強く、弱体化を繰り返した歴史がある。

 まぁ、ここでリネ2の弓職がどうだと語るのは脱線も甚だしいので割愛するとしよう。問題は、その話の論争の中で、まさに効率でしか物を語れない人がいることだ。
 曰く、弓なんて現行システムじゃ弱いのは明らか。そんなの分かりきってるのだから、それでも弓職やりたいなら工夫しろ。短剣を持つとか変身する(※1)とかして頑張ってる弓だっているのだ。努力もせず喚く奴とかどんだけゆとり脳だよ。いいか、弓職は弓持ってPT(※2)来るな。弓持ちたいなら一生ソロ(※3)してろ。それも嫌ならやめればいい、だそうだ。

 (※1)リネ2ではモンスター等に変身できる。能力値が変更され、普段とは違う力で戦えるというシステム。例えば、ヒーラーでも変身すればアタッカーになれる等。
 (※2)パーティのこと。プレイヤー同士でグループとなり、モンスターを倒したりして遊ぶ。ネット環境における醍醐味の1つ。
 (※3)パーティの逆、1人で遊ぶこと。経験値やお金等を独り占め出来るが、協力プレイという醍醐味を味わえず、1人ゆえに危険も多い。

 MMOである以上、みんなで遊ぶことの妨げになるようなことは慎むべき、ではある。そういう意味では、経験値やお金を稼ぐことに効率的じゃない人を煙たがるのは理解の範疇だ。
 でも、なんでそんなに効率しか見ないのだろうか。キャラのLvを上げること、お金を稼ぐこと、いいアイテムを得ることが全てだというのだろうか。
 いいじゃん、効率落ちたって。遊んで楽しいかどうかの方が重要だとは思わないのだろうか? 価値観の違いといえばそれまでの話なのだが、色んな人とめぐり合い、コミュニケーションして、ゲームプレイという時間を共有してこそのネトゲだと、ボクは思うね。

 また、こういうのって「RPG」なのだ。砕いて表現するならば「ごっこ遊び」である。そんな「なりきりプレイ」が楽しみの1つだし、TRPGプレイヤーが絶滅しないのもそれが楽しいからだろう。
 なのに、「弱いから」とか「効率悪いから」とか、「弓職は弓持つな」なんて寂しい話ではないか。そんなシステムに問題があるのも事実だが、システムに縛られ、こんなキャラクターのアイデンティティを踏みにじるような発言が出てくる人間性も相当に問題だと思う。

 PSPo2とか見たってそうでしょ。いるのはハンターやブレイバーばかり。そして、呆れるほど見かける槍やナックル。大抵の人は「強いから」とか「当たるから」とかで使うだろう。
 当然、PAも「強いかどうか」であって、大抵の人が同じPAを使ってる。少なくても、ボクが出会ったオンラインプレイではそういう傾向があった。
 無論、全員が同じというわけではない。だが、多数を占めたのは事実。「自分のスタイルはこうだ」とか「このキャラはこんなやつだ」とか、そういうこだわりあってもいいと思うけどな。
 それがオンラインプレイで迷惑になるか否かという線引きが難しいのも事実だけど、浪漫のない「最強」装備に走るくらいなら、能力が劣っても浪漫のある装備の方がボクには魅力的だ。

 つまり何かって言えば、「プライド」とか「心」とかないよねって話。人と接していく以上は、どこか折り合いつけないといけない部分はあるにしても、全部効率で語るのは寂しい限り。
 例に出したものなどを見ても分かるように、気がつけばシステムに取り込まれ、「本来何を目指していたか」すらあやふやになっていはいないだろうか?

 そして、これは何もゲームだののオタク文化に限った話でもなく、身の回りにはいくらでも当てはまることはあるだろう。
 昨日、「売れりゃいい」という体質が「もはや国民性」と書いたが、こういう部分に如実に表れてはいないか。勝てれば何でもいいのか? 強ければ何でもいいのか?
 それとも、現実的とも言えるこうした選択肢に、一抹の寂しさを伴うボクが、単におセンチなだけなのかな。より効率的にアジャストしてナンボって人からすれば、理想論者乙ってことかもね。

 ま、そんなロマンチシズムが愚かなのか否かは分からないのだけれど、浪漫のない世界なんて想像したくもないな。つまんないじゃん(笑)。
 しかして、現実として浪漫だけでは生きていけないのも当然。夢追って馬鹿を見るのも当たり前。でもさ、それでも人は、夢を見るんじゃないかなぁ…。

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